我々米軍機ファンにとって比較的身近に存在するF-16航空団の一つで、最も早くアジアに配備された部隊でもあるため、とても馴染みが深い。何と三沢基地に配備された432nd TFW(後の35th FW)より4年近く早く朝鮮半島にF-16A/Bを持ってきたという事は、当時この地域の軍事バランサーとして配備を急ぐ必要性があった為だろう。私のホームページ上、本来朝鮮半島のクンサン空軍基地の第8航空団(8th FW)は、とっくに手を付けていなければいけないページであったが、これまで手付かずで来てしまった。右の狼君のイラストなどは3年も前に作成したものだった。此処でもう一度1981年まで歴史を遡ってこのページを進めて行きましょう。(2007/2 記)
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↑ クロスカントリーで横田に飛来した第8戦術戦闘航空団 第80戦術戦闘機中隊(80th TFS)のF-16A、F-4D時代から引き継いだシンボルマーク牙をむいた黒い狼の頭が コックピットの後方に書き込まれている。35th TFSに引き継きF-16Aお受領した80th TFSは、実戦部隊として最初に水平尾翼が大きいブロック15の最新型を受領している。
現在第8戦闘航空団所属のF-16にはアニメチックな狼が書かれているが、1981年配備当初の頃は、F-4D時代から引き継いだよりグロテスクな狼が書かれていた。
 ウルフパック(群狼)は、チームを組んで狩をする狼の群れのことであるが、現代の航空戦そのものが単機決戦ではなくチームプレーで行われる事から、群狼とは正に戦闘集団にふさわしい名称である。狼は、ヨーロッパの童話にも 人を襲う怖い動物のようにかかれ 昔から恐れられていたが 実は狼が食べる目的で人を襲った記録は極めて少ないそうである。逆に狼に育てられた子供の事例は数件有り、基本的に犬の仲間である狼は、人間を食べる対象としては考えていなかったようだ。但し人間が飼う牛や羊は狙うため、牧畜を営む人間からは忌み嫌われ憎悪の対象になったというのが本当の所だろう。ジャッカルにしてもこの狼にしても実に非常に利口な動物で、狩の際も各チームの役割が決まっている。その獲物のポジションによってボスが指示を出し、正面から追う者、脇に回りこむ者、狩場で待機する者が各々の役割を演じる。この思考は人間が遊びで狩をする場合以上に綿密である。こうした賢いハンターは、一生懸命家畜を保護しようとする人間の裏もかくため、益々人間から嫌われ、退治という名の殺戮の対象となった。すっかり数を減らした狼は、現在では保護動物の指定を受け各地で繁殖活動が行われている。

口元から血が滴っている・・・

↑ 同じくクロスカントリーで横田に飛来した第8戦術戦闘航空団(8th TFW) 第35戦術戦闘機中隊(35th TFS)のF-16A、35th TFSのコマンダー機で尾翼にはシリアルの末尾35を利用した形で"35TFS"と書き込まれている。翼下の白いパッケージポッドが眩しい。20o機関砲の砲口が硝煙で黒く煤けており、最近訓練で機関砲を使用した事が分かる。
韓国の群山基地に最初のF-16Aの一陣が到着したのは、1981年9月14日(同年5月に訓練用の2機が先行して到着)。嘉手納経由での飛来だったので日本の報道陣にも公開された。最初に到着した8機のシリアルは、「80-」で始まる当時は、生産されて間もない湯気の立つような新品である。ちなみに この8機のシリアルは、80-486、80-625、80-491、80-493、80-486、80-494、80-490、80-495 であった。これらは全て35th TFS(黒豹部隊)に引き渡され、1981年11月24機が揃い定数を満たしたとされる。
↑ 1982年初めて横田に展示されたF-16A、多くの日本の航空機マニアが始めて目の前に見たファイティング・ファルコン。インテークにはまだ飛行中隊を示すインシグニアは無く、尾翼の黄色もしくわ青色のチップラインだけが判別方法だった。サイドワインダーミサイルは、隣に展示されたF-15CのP型より進歩したL型を付けている。
The Period of F-16A/B